受動喫煙に関する基礎的研究

春日 斉*1

はじめに

わが国で医学分野の学術誌が創刊されたのは明治37年(1904年)、わが国に初めて衛生学教室を開講した東京大学の緒方正規による日本衛生学会誌だとされている。そしてその巻頭論文は緒方の「日本ノ室内空気ニツイテ」であり、わが国において初めて室内空気汚染(Indoor Air Quality)の概念が確立されたものといえる。当時、室内空気汚染物質として着目されていたものはCO2やCOであったが、緒方はこの総説のなかですでにたばこと煙に着目して、その小実験を紹介している。

現在、室内の空気質を劣化させる物質は約1,000種を超え、代表的なものとしてNO2、CO、CO2、浮遊粒子状物質、ETS(Environmental Tobacco Smoke;環境中たばこ煙)、ラドン、各種発がん物質などがあげられている。しかし、ETSは室内に限って発生源をもち、大気中にはほとんど存在しないものとして特徴づけられている。たとえ室外で喫煙しても、一服と一服とのあいだに発生する副流煙と、いったん吸入されたのち吐き出される主流煙のいずれも混合されることなく、ただちに大気中に拡散されてしまうので、室外で非喫煙者に影響を与えることはまれである。Yocumの室内空気汚染の総説1)によれば、自然換気を伴う通常の室内に占める空気汚染物質の約30%は外部からの侵人によるとされているように、室内で発生するETSの一部は室外空気により置換され、その外気導入量に応じてETS濃度は減少する。すなわち室内ETSの濃度は換気力、部屋の広さ、喫煙本数の3要因によって支配される。たとえば民間航空機のように密閉された室内に数百人の乗客がいても強力な換気能力と圧搾空気の供給があれば、喫煙席でETSが発生しても、ほとんど禁煙席に侵入できない環境をつくり出すことが可能なのである。

本稿では、まず受動喫煙問題の端緒となった疫学研究の問題点を指摘し、ついで、この問題の基礎的な解明を目指した喫煙科学研究財団による助成研究の成果を概観することとしたい。

疫学研究の問題点

疫学の分野でETSを初めて扱ったのは平山雄氏の大規模コホート研究2)であった。しかしながら、奇妙なことに、前述のようなETSに関する環境科学の視野が、全く考慮されていないことに気づくのである。上記研究の論旨は、1965年秋に1回のみ行われた喫煙調査に基づき、得た非喫煙の妻をもつ91,000組のカップルについて、非喫煙の妻を夫の喫煙習慣別に5つのサブ・グループに分類し、1966〜1981年の16年間、5つのグループ別に発生した非喫煙の妻の肺がん死亡(計200例)が1965年における夫の喫煙習慣と相関し、odds比は90%信頼限界の下限値が1.01で、有意とされている。しかし、通常用いられる95%を採用すると0.97となり、有意でなくなる。これが氏の受動喫煙(Passive Smoking)の根拠である。また、肺がんの潜伏期は20年前後とされるから、もし夫の喫煙が妻の肺がんの原因とすれば、1965年の夫の喫煙本数/日に対してでなく、1940年当時の喫煙習慣と関連するはずである。ところが氏は、個人の喫煙習慣は不変であり、1966年における喫煙本数/日は1940年当時と変わらないと仮定している。しかし実際には、1940年当時の喫煙本数/日は年々急激に増加傾向をたどっており、1965年における夫の喫煙本数/日が、たとえ妻の肺がん死亡と有意に関連してもそれは全くの偶然にすぎないことになる。なお、米国環境保護庁(EPA)は、1993年、平山および秋葉の論文にならい、追試論文28について、通常用いられる95%の信頼限界を90%に訂正し、肺がんへのETSの影響を評価している。しかし、これらを95%で評価すると、有意の論文はわずか6編にすぎなかった。しかも、1966〜1981年当時の肺がん死の診断は、ほとんど死亡診断書に依存しており、病理学的診断はまれであったから、誤分類は大きく、交給変数も考慮されておらず、尿中コチニンを用いてETS暴露を測定する手法も開発されていなかったので、その信頼性は乏しいといわざるをえない。また、妻のETS暴露量は、家庭内の夫の喫煙からばかりでなく、他の家族からの暴露、あるいは外出先や職場での暴露もあり、さらに、家屋の換気力、広さも考慮しなければならない。これらは全く無視されている。最も新しいFonthamらのETSと肺がんとの関連についての報告3)でも、非喫煙の妻の暴露量は社交上や職場におけるほうがはるかに多く、夫からの被曝はわずかにすぎなかったと報告されており、夫の喫煙習慣とのみ相関するというのはあまりにも非現実的である。すなわち、平山氏のいう受動喫煙の概念は、ETS暴露による室内空気の汚染の環境科学的メカニズムを無視したものと考えたほうがよさそうである。氏の1981年の論文以降、1995年までに追試された報告は33に及ぶが、odds比が有意を示すものはFonthamの論文を加えても7つにすぎず、最近の論文ほど、また質的にすぐれた研究ほどodds比は小さく、かつ有意でないことが知られている。以上の論文のうち、終生非喫煙者を選別し、また現あるいは前喫煙者を確認するため、質問表以外に尿中コチニンによる調査を行った例はまれである。平山論文に関しては、受動喫煙の可能性を初めて提唱したことには敬意を表するが、当時の肺がんの診断をとってみても、死亡診断書によるものが大半で肺がんの組織学的データはまれであり、誤分類、交絡変数の介入があまりにも多く、信頼に値しないのである。すなわち、ETS暴露と肺がんとの関連を明らかにするためには、より環境科学的な視野からも着実にデータを積み上げていく必要がある。その意味で、喫煙科学研究財団が公募のテーマとして疫学調査以前に解決しておくべき基本的な問題を提起してきたことは賢明であった。1986〜1994年に報告された業績をあらためて読みなおしてみると、すべてのテーマが解決されたとはいえないまでも、着実に真の意味でのETSの疫学に関する基礎の解明が進められているのである。あらためて本財団の貢献に敬意を表したい。以下に、それらの研究業績について述べる。なお、いくつかのポジティブ・データに終わった報告も含まれるが、それなりの意義があり、あえてそれを甘受しているのも喫煙科学研究財団のすぐれた点であろう。

↑ページトップ

非喫煙者のたばこ煙吸入量とその生体に及ぼす影響に関する研究

1) 各種環境条件下におけるたばこ煙吸入量の測定とその影響に関する研究

北村ら自治医科大学グループは、1987年に、日常環境下および実験下のニコチン暴露量を個人サンプラーを用いて測定した結果を報告している4)。すなわちファミリーレストラン、喫茶店、空港の禁煙ロビー、パチンコ店、各種列車、航空機等における禁煙席では暴露量が減少し、喫煙室の隣室では暴露がされていなかったとしている。また、一定の室内における実験では、非喫煙者のニコチン暴露濃度は喫煙者との位置関係により変動するが、肺機能パラメーターでは明らかな変化が認められなかった。ただし、肺機能、血中ケミカル・メディエーター、補体の変動は、有意ではないものの、日常的な暴露によって変動しうる可能性が示唆されたとしている。

1988年の報告では、ニコチン暴露濃度を指標として、各種環境下の暴露量および生体影響(血圧、脈拍数、肺機能、血中ケミカル・メディエーター、補体)を検討している5)。 このうち、航空機6フライトの国際線における調査では、個人サンプラーによる禁煙席での暴露量は国内線におけるものとほとんど異ならなかったとしている。血圧、脈拍数の増加は認められたが、ストレスによる影響と区別できず、統計的にも有意ではなかった。

l989〜1990年においては、モルモットを用い、気管支肺胞洗浄(BAL)液中のケミカル・メディエーターを指標とし、副流煙暴露による生体影響を論じている6)7)。 30分の平均ニコチン暴露濃度は600μg/m3であった。BAL中トロンボキサンB2(TXB2)はコントロール群300pg/mlに対し慢性暴露群200pg/mlであって、有意差はみられなかった。しかし、日常的なETS暴露の反復により、BAL中にケミカル・メディエーターが放出されている可能性もありうるとしている。

吉良らの順天堂大学グループは、北村らのグループとほぼ同様、受動喫煙の実態を明らかにすべく研究を開始し、1987年には、被験者の受動喫煙によるニコチンの体内への移行量を測定する方法について報告している8)。 すなわち、実験室内非喫煙者の呼気中ニコチン濃度と室内濃度を測定し、後者から前者を減じることにより、被験者体内に受動的に移行したと思われるニコチン量を求めている。呼気中ニコチン濃度は、呼気ガスをテフロン製バッグ内に捕集したガスの濃度とした。この報告では、バッグ内面へのニコチンの吸着については、事前に調査を行ったことが記載されている。しかし、1988年の報告では、前年の結果について、「バッグ表面へのニコチン吸着により、呼気ガス中のニコチン濃度が低値となり、生体へのニコチンの吸収を正確に測定しえなかった」とし、その対策として、一方向弁をもち、吸気、呼気を分離しうる特製マスクを作成している9)。 そして、吸気、呼気中のニコチンを直接サンプルとして測定し、次式よりニコチン吸収率を求めている。

 ニコチン吸収率(%)=

 吸入気ニコチン濃度-呼気ニコチン濃度  


     吸入気ニコチン濃度
×100

 

すなわち、呼気中ニコチン濃度を測定するに当たり、テフロン製気体捕集バッグを使用すると、バッグ表面へのニコチン吸着により、呼気ガス中のニコチン濃度が低値となり、生体へのニコチンの吸収を正しく測定できないことが明らかにされた。この点、1987年の報告では、「テフロン・バッグには吸着されない」との予断がある一方、もしそれが正しいとすれば、吸入気中のニコチンの80%が呼吸のたびに体内にトラップされるという結果となることを記載している。かくして、1988年報告での訂正となったが、ニコチン吸収率は、吸入気中の濃度に関係なくほぼ一定の値を示し、その平均値は65.4±15.3%とかなり高率であった。吸入気ニコチン濃度が100μg/m3を超えると全員にアノイアンスがみられるが、最大暴露濃度が50〜100μg/m3の範囲では、アノイアンスとニコチン暴露濃度、ニコチン吸収率とのあいだに明らかな関係はみられなかったとしている。

 以上の経緯に基づき、1989年の報告では、ニコチン捕集法に関する総括的な要約を行っている10)

1990年の報告では、受動喫煙の生体影響を肺胞腔内居住細胞の生物学的活性への影響という観点から分析する目的で、肺胞マクロファージ中のcathepsinBおよびLを指標にして検討している11)。 気管支肺胞洗浄(BAL)で得た肺胞マクロファージのcathepsin B活性は、非喫煙者群に対し喫煙者群が有意の高値を示し、cathepsin Lも有意に高く、喫煙刺激により肺胞マクロファージが増加し、cathepsin Lが強いエステラーゼ活性とアンチトリプシン阻害活性をもつところから、肺胞構造の破壊をきたす肺障害に本酵素が強く関与することが示唆されるとしている。さらに1991年には、たばこ煙中に含まれる刺激物質がニコチン以外にも多数あり、受動喫煙でも肺胞マクロファージの活性化を起こし、cathepsin等の蛋白分解酵素を誘導する可能性があると結論している12)

暴露量の測定方法に関して、東海大学の春日、松木グループは、尿中ハイドロキシプロリン(HOP)値がNO2とともに喫煙、ETS暴露のいずれに対しても尿中コチニン値と高度の関連を示すとして、多くの疫学調査に応用しているが、本財団の助成研究には、その一部が含まれているにすぎない13)27)

同グループは、非喫煙者のETS暴露量測定と同時に室内環境の喫煙による汚染量の測定が必要なところから、1988年および1989年において、CO、浮遊粉塵、ニコチン等の捕集ならびに気圧、温度の同時測定が可能な、持ち運びのできるスーツケースタイプのPortable Air Sampling System(PASS)の実用性を検討し14)15)、野外調査に限定すれば、有用であったと報告している。

同グループは、きわめて特異な環境として航空機という密閉空間を選び、北村グループとは異なる視点からETSの生体影響を検討している。この研究調査は1989年に開始されて1991年まで継続され、国際便8便、国内便4便、計12便(いずれもJAL便)を用い、密閉空間における動向を観察した15)‐17)。 ETSは主流煙と副流煙との混合で1,000余の物質からなっており、何をもって代表させるかが問題である。最も特異的なニコチンについては分単位の濃度の連続測定が困難であるが、その動向は浮遊粒子状物質(SPM)濃度ときわめて高い相関を示すところから、SPMの動向を指標として用いている。

その結果によると、航空機の離陸後、禁煙サインが消えるとただちに喫煙席のSPM濃度は上昇し、食事サービス中はいったん降下するが、食後の一服によりピークが観察される。機内映画の上映では減少、就寝時にはほとんど無視できる程度となったが、韓国ソウル便の場合は往復ともに乗客率が満杯で、喫煙者率がきわめて高く、非喫煙席への侵入が明らかであった。ETSのニコチンは粒子状物質に付着して発生するが、すみやかにガス相に移行するため、粒子状物質のみを捕集するフィルターで室内ニコチン濃度を低下させるには、強力な強制換気が必要であった。すなわち、航空機中のETS測定の指標としてはSPMとニコチン濃度が適切であり、CO、NOx等のガス状物質は、キャビン内の強力換気で、一般の大気、事務室等にくらべかなり低いことを明らかにしている。

2)生体影響の指標に関するその他の研究

癌研究所の北川らは、1987年から1988年にかけて、受動喫煙の末梢血リンパ球姉妹染色分体交換現象(SCE)に及ぼす影響について検討している。しかし、ETS暴露後の12名中、SCEの頻度が有意に上昇した者は3例で、結論を出すことができなかった18)19)。 1989年および1990年においては、29名につき同様な研究を繰り返したが、有意な変動はみられなかった。20)21)

京都大学の泉らのグループは、1987年から1991年にかけて、BALF(気管支肺胞洗浄液)中の細胞数、マクロファージ、リンパ球にETSの影響があるか否かを検討している。22)‐26) 最大の欠点は、ETS暴露が全くなかった対象者の選択がきわめて困難であり、またBAL検査に対する協力がほとんど得られなかったことであって、結論的には有意差は認められず、受動喫煙のレベルではBALF所見に影響がなかったと結論している。

東海大学の松木らのグループは、1987年から、人体内結合組織中の弾性組織に存在するelastinに含有される特異的アミノ酸であるdesmosine(DS)を生体影響の指標として検討している。27)-31) DSは体内代謝において再利用されることがなく、腸から吸収されることもないので、尿中に排泄されるDS量は喫煙の生体影響の指標たりうるとして、その高感度検出のためELISA法を用いている。作製したDS抗体はアミノ酸、エラスチンとは交叉反応性がなく、回収率は約85%であった。24時間蓄尿を用いることは困難なため、DS比(尿中のDS/creatinine比)を用い、受動喫煙のマーカーとなりうるか否かを検討した。しかしながら、1991年の最終結論としては、受動喫煙の影響、あるいは受動喫煙の影響が尿中DS比に反映する傾向がみられたものの、統計的有意差はみられず、個々のばらつきもきわめて大きかった。以上から、尿中DS比に影響を及ぼす因子はほかに多く存在すると考えられ、有意の結論が得られなかった。

京都大学の吉田らのグループは、1987年から1990年にかけて、尿変異原活性が一定の腎血流量に含まれる変異原物質の量を反映しているとして、体内に取り入れられた変異原物質の動態評価の指標として検討した32)-35)。 喫煙者尿は非喫煙者尿より有意に高い変異原性を示すが、受動喫煙では有意差がみられなかったとしている。また、ニコチン・パーソナルモニターを用いて得たニコチン暴露濃度と尿変異原活性とのあいだにも、受動喫煙者では有意な相関を認めなかった。すなわち、日常的受動喫煙条件下ではAmesテストでみる限り、活性の上昇はもたらされなかった。

1990年には、受動喫煙が膀胱癌発生のリスクに与える影響を明らかにすべく、受動喫煙後のラット尿抽出物がH-ras癌遣伝子を活性化するか否かについて検討し、活性化は検出されなかったと報告している35)

さらに1991年には、受動喫煙の造精機能への影響について報告している86)。男性不妊症外来受診者116名について精液検査を行い、精液濃度および運動率と喫煙本数/日との関係を求め、本数の増加に伴い濃度が低下、精子運動率では一定の傾向がなかったとし、喫煙が精巣DNAに与える影響をさらに評価することが重要と述べている。

↑ページトップ

室内空気質の制御に関する物理・化学的研究

1)PAH(多環芳香族炭化水素)の測定と除去法に関する研究

松下らの研究グループ(国立公衆衛生院のち静岡県立大学)は、1986年から1994年までの9年間にわたり、室内空気質の制御に関する研究を行っている37)-45)。まず、ETSのガス成分に焦点をおき、その変異原性試験方法の確立をはかり、副流煙中の粒子成分とガス状成分の変異原活性の比較を行った。続いて、最も重要な業績の一つとして、癌・変異原性の計測を行うための低騒音サンプラーを開発し、サルモネラ菌TM677株を用いた高感度化法(foward mutation法)を検討した結果、1987年には、従来のAmes法より10〜20倍の感度をもつ方法の規格化に成功している38)

1988年には、HPLC-分光蛍光光度計-コンピュータ・システムからなるPAH(多環芳香族炭化水素)多成分同時分析法を開発し、室内空気のPAHのルーチン分析を可能にしている。また、室内汚染物質の除去手法として静電気捕集法がすぐれており、含まれる変異原物質やPAHの除去に有効であるとしている39)

1989年から1990年にかけては、生活環境空気中の有害物質への暴露実態の把握と多様化したライフ・スタイルにおける正確な人体暴露を解明するため、PAHの超高感度多成分自動分析法を開発し、実測を行っている40)41)

1991年には、低騒音小型サンプラーとPAH高感度簡易分析法により冬季の室内外における個人暴露量を検討し、発癌物質4種、発癌促進物質2種、変異原物質1種、計7種のPAH を測定し、個人暴露濃度に対し生活環境や生活様式の影響が大きいことを明らかにした。また、個人暴露量は台所、室内、屋外の各PAH濃度と高い相関を示し、PAH個人暴露に対し室内外の多数因子の関与を明らかにしている42)。なお、ベンゾ(a)ピレンの発生量はETSで77〜140ng/本、線香で36〜97ng/本、蚊取り線香で4,680〜6,910ng/本であったと報告している。また、魚類の調理により発生するペンゾ(a)ピレンの量についても報告し、PAHによる室内汚染を低下させるには、一般的室内清浄手法の開発とともに、上記のような発生源に対する局所的対策手法の確立が必要としている。

1992年においては、東海大学医学部公衆衛生学教室の協力を得て実施したブラジルParana州の農村における室内汚染の実態調査結果から、木材ストーブ使用家庭内ではPAH濃度が著しく高いことを報告している。また、従来開発した8PAH分析法を改良して20PAH自動分析法を確立し、発癌性PAH 12種、発癌促進PAH3種、変異原性PAH4種およびコロネンの計20種を自動測定することに成功している43)。これらの成績から、日本人の生活になじんでいる線香、直火による魚焼きなどがPAH室内汚染、個人暴露に大きく影響し、条件によっては受動喫煙よりはるかに大きい影響をもたらすことを明らかにした。

1993年の総まとめにおいては、PAHの室内汚染による発癌作用を繰り返し強調し、その除去法として3種の粒子状物質除去システムを有するエアコンを取り上げ、結論として、電気集塵システムの有効性を指摘している44)。なお、1994年には、新たにアルデヒド類を取り上げ、パッシブサンプラーによる当該物質の捕集、分析方法の検討に着手している45)

 2)たばこ煙に由来する粒子状物質の除去法に関する研究

金沢大学の江見らのグループは、1986年から、室内環境中のたばこ煙粒子状物質の除去に関する研究を行っている46)。ETS粒子が捕集されにくいサブミクロン粒子で構成されているところから、まず、空気清浄器におけるエア・フィルターの性能評価を行い、静電気力を利用したエレクトレット・フィルターが室内粒子濃度をすみやかに減少させ、低濃度を維持できるとしている。しかし、1987年の報告では、たばこ粒子の場合、大部分が無帯電粒子であることから、荷電装置を併用する必要があると指摘している47)。1988年から1990年にかけての報告では、繊維状活性炭素のフィルターの効率に関する検討を行っている48)-50)

 3)たばこ粒子の拡散過程に関する流体力学的検討

 1992年から1994年にかけて、宇都宮大学の秋山らのグループは、喫煙により発生した微粒子・ガスの室内環境と換気システムのシミュレーションについて報告している51)-53)。すなわち、たばこ煙ならびに粒子の拡散過程に関する流体力学的な研究を進め、数値流体力学(CFD)を用い、ETSの濃度分布の予測と換気システム等の条件決定に必要な数値解析法と実験手法を検討し、自然対流の時間変動の解析、煙源上部の浮力による上昇流、濃度勾配による拡散を論じている。第一ステップとして、まず自然対流の支配方程式を数値計算で解くことを目的として、画像処理を応用した温度計側手法を確立し、その査証実験を行い52)、さらに、幅射と自然対流が共存する場合の伝熱系における熱流動現象に対する数値解析を行っている53)

 慶応義塾大学の滝本らは、微粒子群可視化のためのレーザートモグラフィ法を利用して、浮力によるETSの定常自然対流煙と呼出煙の非定常強制対流煙を検討し、レーザーシート(二次元平面レーザー光)による二次元的挙動の解析を行った54)-56)。レーザーシートを短時間にスキャンすることにより、三次元的濃度分布を把握できるとしている。

広島大学の奥山らは、レーザー光散乱式粒子計数器による微粒子分布の計測を行っている57)-59)。この方法で、室内の喫煙により発生するガス状および粒子状物質の輸送過程における濃度分布の評価を行い、これがETSの室内汚染の制御と関連して重要であるとし、室内の気流の速度分布、濃度分布を考慮した数値計算値と、汚染質として微粒子を用いた実験成績との比較を行った。その結果、微粒子は室内での拡散がガスよりも少なく、換気の気流に沿って輸送されやすいこと、モデルルームによる実測値は理論的な計算値によく一致することを明らかにしている。

 4)喫煙ガス成分の微粒子化と分解除去に関する研究

金沢大学の江見らは、1990年より、コロナ放電によるたばこ煙ガス成分中のアセトアルデヒドの除去に関する検討を開始し50)、ほかの成分からのアセトアルデヒドの生成など複雑な関係が存在するため、この方法では、多成分系からの単一成分の除去はかなり困難であることを指摘している60)61)。しかし、1993年および1994年の報告では、酸化チタンを用いた光触媒反応により、アセトアルデヒドはたばこ煙中から完全に除去されることを明らかにしている62)63)

1992年から1994年にかけて、大阪府立大学附属研究所の足立は、喫煙ガスにα線を照射した場合のガス成分除去の効率について報告している64)-66)。この研究では、特に微粒子生成機構を解明するため、放射線によるイオン核生成現象に着目している。1992年の研究では、喫煙ガス、SO2、 CO2の放射線照射により微粒子が発生すること、水添加により微粒子発生が促進されることを明らかにし、1993年には、微粒子捕集技術の開発に必要な粒子の大きさ、帯電量を測定している。喫煙ガスのα線照射により発生する粒子の粒径を測定した1994年の報告では、平均粒径は6.5nmであり、また帯電粒子の割合は低いことを報告している。

豊橋技術科学大学の水野らも、同じく1992年から1994年において、放電プラズマ化学反応場を有する電気集塵によるたばこ煙汚染空気の脱臭、除塵の研究を行い、その結果を報告している67)-69)。すなわち、電子ビーム励起、パルス放電プラズマにより次世代の排ガス処理技術が開発されつつあることから、ETSによる室内汚染の浄化にも有効であるとし、煙粒子と悪臭ガス成分の同時除去の可能性にもふれている。1993年には、放電プラズマ装置による除去実験で、半湿式反応器を使用した場合のサブミクロン粒子(0.5〜1.0μm)の集塵に関しては、流量4l/min(滞留時間0.57sec)で93%以上の効率を、流量1l/min(滞留時間2.28sec)でほぼ100%の集塵が達成されたとしている。さらに1994年には、たばこ煙を用いてのガス成分および微粒子の除去実験を行い、室内用たばこ煙ガス浄化装置として風量3m3/minの湿式装置を用いると、滞留時間0.8sec、反応装置体積50l、電力200W程度が必要であろうと結論している。

↑ページトップ

たばこ臭の解析と防臭に関する研究

たばと臭の除去に関する初期の研究としては、京都大学の西田らによる研究があり、1986年から3か年にわたり、その結果を報告している70)-72)。それによると、カルボニル化合物および脂肪酸に対してすぐれた除去能をもつ活性炭繊維をはじめ、セラミック系除去剤、酸化アンチモン剤、ベタイン化合物、硫酸鉄や硫酸亜鉛などの除去剤は、それぞれかなりの臭気除去率を示したが、残留臭気を感じさせないレベルまでの除去は困難であった。したがって、何らかの二次的処理あるいは換気システムが必要であると総括されている。

日本環境衛生センターの石黒らは、1988年から1994年にかけて、同様にたばこ臭気の除去を目的とする研究を行っている73)-79)

1988年および1989年には、まず臭気の原因物質の検索を行うとともに、自動喫煙装置を用い、3点比較式臭袋法による臭気濃度の感覚量と臭気物質の関係を解析している。その結果、ガスクロマトグラフ/オルファクトメーター(GC/OF法)と官能試験法によって約150物質を同定し、アルデヒド類、メルカプタン類がたばこ臭気と密接な関係があることを明らかにした。2,4‐ジニトロフェニルヒドラジン溶液、水酸化ナトリウム溶液および硫酸溶液による臭気試料からの臭気物質除去率は58〜82%で、臭気の質については、主流煙は甘い焦げ臭で弱い刺激臭を伴い、副流煙はヤニ臭い刺激臭であるとしている。

1990年には、アルデヒド・ケトン類、塩基性成分(アンモニア、アミン類)を除去すれば不快感は低減されるとして、オゾン脱臭装置(市販)、オゾン活性炭脱臭装置(試作)を用いて検討している。臭気成分との気相反応を起こさせるため喫煙室内に発生させるオゾン濃度については、約15ppbとした。しかし、オゾン脱臭では、臭気成分が高濃度の条件では効率が低く、十分な除去効果は得られなかった。

1991年には、ビル空調用に開発された吸着剤(KILA-STAR)と消臭壁紙を用いて実験を行っている。臭いのセンサーについては、ヒトの嗅覚で測定した濃度とセンサー測定値とのあいだに、対数で良好な直線関係がみられた。また、臭いのセンサー測定値と粉塵量とがよく対応した。吸着剤を用いたとき、粉塵量は半減したが、臭気の除去にはほとんど効果がなかった。

1992年には、オゾンおよび植物製油を用いた脱臭を試みているが、オゾン単独では効果がなかった。茶から抽出した植物油を加熱気化させた場合は、臭気濃度は若干低下し、たばこ煙のいやな臭いはマイルドに感じられたとしている。

1993年には二段式電気集塵機と活性炭フィルターを用い、除塵および脱臭の効果を検討している。除塵については高度の効果が得られたが、脱臭については効果が認められるものの、十分ではなかったと結論している。1994年の最終報告によると、たばこ煙を臭気濃度で評価した脱臭効率は68%であった。

↑ページトップ

体液中の微量のニコチンおよびコチニンの定量法開発に関する研究

受動喫煙の場合、血中や尿中に移行するニコチンおよびコチニンの量は、能動喫煙にくらべてはるかに微量であり、これらの正確な定量法の開発はきわめて重要である。そこで、1991年から1994年にわたり、京都薬科大学の橋本圭二助教授ら、日本環境衛生センターの長谷川隆氏ら、宮崎医科大学の石川栄治教授ら、東海大学の松木秀明教授らの各グループが参加し、プロジェクトとして研究を行った。なお、本プロジェクトのリーダーは、滋賀医科大学の石黒達也教授がつとめられた。

 1)GCまたはLCによる定量法の開発

橋本らは、ガスクロマトグラフィ一(GC)、高速液体クロマトグラフィー(HPLC)、ガスクロマトグラフィ一/質量分析法(GC/MS)について研究を行った80)-83)。GC/MS法にキャピラリーカラムを使用し、さらに大試料溶液注入法を開発、改良することにより、従来より10〜50倍の試料注入が可能となったことから、ニコチンについては注入量にして30pg程度、体液濃度にしてng/mlレベル以下の測定の可能性が示されたとしている。 HPLCについては、大気圧化学イオン化質量分析法によるLC/MS法を検討し、ニコチンおよびコチニンの定量限界値はそれぞれ100pgおよび50pgであったことから、ニコチンでは0.1ng/ml、コチニンでは0.05ng/ml程度の微量測定が可能であると結論している。

 長谷川らは、同様にGC/MS法によるニコチン、コチニンの定量法を検討し、微量定量のための大量注入法として、プログラム昇温気化注入装置を用いている84)-86)。さらに、市販の分析用カラムによるニコチンおよびコチニンの吸着を防止するため、カラムをポリエチレンイミンでコーティングすることにより、10pg程度までのニコチンおよびコチニンを精度よく分析することが可能になった。これにより、体液濃度0.1ng/ml程度の微量分析が可能であるとしている。なお、この研究では、実験環境のニコチン汚染とコンタミネーションの問題も考慮すべきであることが明らかとなった。

 2)酵素免疫反応による測定法の開発

宮崎医科大学の石川らは、ニコチンやその代謝産物のようなハプテンの測定を高感度化する方法として、自ら創案した非競合法を応用し、抗アミノエチルコチニン抗体および抗6-アミノニコチン抗体を用いる方法を検討した87)-90)。その結果、コチニンについては0.03fmol、ニコチンについては0.01fmolの測定感度を実現している。しかし、コチニンの場合は、ビオチン化の効率は高いものの、抗体の特異性が低いという問題があり、また、ニコチンについては、抗体の特異性は高いがビオチン化が困難なようであると述べ、効率よくビオチン化を行う有機化学反応と特異性の高い抗血清の両方をそろえることが今後の課題であると結論している。

東海大学の松木らは、尿中ニコチンおよびコチニンのELISA法による測定法について検討している91)-94)。ニコチンおよびコチニンは分子量が小さく、免疫学的にはそれ自体では生体に投与されても抗体産生能力のない物質、いわゆるハプテンとしての性質を有することから、他の高分子蛋白と結合させるための官能基を導入した。

すなわち、ニコチンについては、4’位にカルボキシメチル基を導入した4’-カルボキシメチルニコチンをカルボジイミド試薬を用いてウシ血清アルブミンと結合させ、この物質を用いて抗体を作成している。その結果、力価、特異性ともに十分な抗体が得られたが、尿中ニコチンの測定に用いた場合の測定範囲は0.2〜20ng/mlであり、受動喫煙レベルを測定するにはさらに検討を要するとしている。コチニンについても同様の試みを行っているが、この場合にはコチニンに特異性のある抗体が得られなかった。

以上、ニコチンおよびコチニンの定量法開発に関する研究は、それらのすべてが実用レベルに達したとはいえないものの、測定感度においては従来法にくらべて格段の向上がみられ、さらに改良を加えることにより、受動喫煙と肺癌の関係に関する真の疫学研究を可能にしうるものと思われる。

↑ページトップ

その他

 1)受動喫煙と生化学的・免疫学的指標との関係に関する疫学的研究

東海大学の春日らのグループは、喫煙の及ぼす慢性影響を検証するため、種々の生化学的・免疫学的指標を用いた疫学的研究を実施し、その結果を1986年に報告している95)。すなわち、総合的メディカル・チェックにより健康とされた成人男子および学童について、高比重リポ蛋白コレステロール(HDL-C)をはじめとする血清脂質指標、白血球および白血球像と能動喫煙、受動喫煙、肥満、飲酒等との関連を疫学的に検討している。HDL-Cは肥満度の上昇に伴って低値を示すので、受動喫煙の影響を解析するに当たっては、肥満の因子を除去して行っている。

解析の結果、成人については、喫煙者の白血球数の増加が確認されたが、児童について受動喫煙の影響を検討した結果では、現喫煙家庭の児童の白血球数は非喫煙家庭の児童に比し、男女ともにやや高いものの、有意差はみられなかった。白血球血液像のうち、好塩基球でのみ非喫煙家庭の児童にくらべて現喫煙家庭の児童が高い割合を示し、母親が喫煙する家庭が最も高率であったが、有意差はみられなかった。受動喫煙の影響が父の喫煙にくらべ母の喫煙のほうが大きいことは、尿中ハイドロキシプロリン(HOP比)、肺機能テスト、呼吸器有症率等の指標を用いた場合でも報告されている。なお、HOP比については1977年以来、松木、春日らが多くの報告を行っているが、本財団による助成研究には含まれていない。

 2)受動喫煙の呼吸器疾患(ぜん息様症状)発生への寄与度に関する疫学的研究

宮崎医科大学の常俊らのグループは、大阪市内4校、大阪府下1校の小学校全学童を対象として、1986年から1991年にかけて、ATS-DLDの標準質問票をもとに作成された質問票によるアンケート調査を行い、ぜん息様症状の経年的な推移と受動喫煙との関係を検討している96)-101)。その結果、受動喫煙の有無とぜん息の軽快、寛解の関係については明らかな関係はみられず、ぜん息様症状の新規発症と受動喫煙との関係も一定の傾向がみられなかったと結論している。6年にわたる調査を通じ、受動喫煙とぜん息との関連を明確に否定した本グルーフの疫学的研究は、高く評価される。

*1東海大学名誉教授

↑ページトップ


Smoking Reserch Foundation