喫煙と脳循環動態
今泉昌利*1
井坂吉成*1
芦田敬一*1
阿部 裕*2
はじめに
喫煙により気持ちが落ち着いたり、頭がすっきりしたりすることはよく知られている。このように喫煙は短期的には中枢神経に影響を及ぼしていると考えられる。また長期喫煙では動脈硬化性疾患との関連が報告されている。この長期喫煙が脳血管障害の危険因子になりうることが最初に報告されたのは、フラミンガム研究においてである1)。多変量解析の結果より、高血圧と喫煙が脳卒中発症を増加させる独立因子であると報告している。その後の研究では、フラミンガム研究の結果と同趣旨の報告2)-7)と相反する報告8)-13)がなされ、喫煙と虚血性脳血管障害の関係については、一定の結論が得られていない。脳循環の分野においても、喫煙の慢性効果として、脳血流量を減少させるという報告と、減少させないとする報告があり成績は一定していない。また急性効果についても、脳血流量が増加する、不変である、低下するなどの報告がなされている。喫煙と脳循環の関係について検討する場合、喫煙の脳血管そのものに対する影響、血管内因子に対する影響、急性効果と慢性効果、他の脳血管障害危険因子との相互関係、脳代謝への影響など多くの因子を考慮にいれる必要がある。本稿では、これらの点を中心に、喫煙と脳循環の関係についての従来からの知見を概説する。
脳循環・代謝測定法
脳循環は従来よりさまざまな方法により測定されてきた(表-1)。さらに、これらの方法を駆使して脳の血管反応性が検討されてきた。すなわち、二酸化炭素の吸入や炭酸脱水素酵素の阻害薬であるダイアモックスの注射により脳血管は拡張する。これらの薬剤の反応の少ない例では、脳動脈硬化性病変が進行し、血管の予備能が低下していると考えられる。脳血流量の測定法としては、まず不活性ガスである笑気(N2O) を使用する N2O 法が開発された。本方法は脳全体の血流量を測定する全脳血流量の測定法である。つづいてラジオアイソトープを利用する方法が開発された。 133Xe は不活性ガスであり脳組織からの洗い出し曲線を容易に得ることができるため、133Xe クリアランス法は従来から脳血流量測定法の標準として用いられてきた14)。すなわち、133Xe クリアランス法では、133Xe を内頸動脈(動注法)または末梢静脈(静注法)より注入するかあるいはガスとして吸入させ(吸入法)、頭蓋外の検出器によりそのクリアランスカーブを測定する。一般には、その最初の数分のカーブの傾きにより計算するイニシャルスロープインデックス (Initial Slope Index,ISI) が用いられている。133Xe 脳血流測定法は、脳血流の絶対値が測定できる良い方法であるが、反面 133Xe のガンマ線エネルギーが低いことから画像の分解能が悪い欠点があった。脳血流トレーサとして123I-イソプロピルヨードアンフェタミン (123I-IMP) や 99m-Tc ヘキサメチルプロピルアミンオキシム (99mTc-HMPAO) を使用するシングルフォトンエミション CT (Single Photon Emission CT,SPECT) により、局所脳血流分布をより分解能の高い画像で表示することが可能となった。本方法はトレーサ捕獲法であり、脳血流量が大である程トレーサが多く捕獲されるが、脳血流の絶対値が得られないことが欠点であった。この欠点を克服するために、村田ら45)46)は、高性能頭部用 SPECT と 123I-IMP 動脈採血法、マイクロスフェア・モデルによって喫煙前後の局所脳血流量を健常な喫煙者で測定した。本法は、脳への入力関数を得るための動脈血採血が必要なため侵襲的である。また、同一日に繰り返して脳血流測定ができない欠点がある。木村ら47)-49)は、高解像度 SPECT と脳血流トレーサ 99mTc-HMPAO を用いた脳トレーサ取り込みの定量的解析法を提示した。この方法は、脳 HMPAO カウントを HMPAO 投与量で除した指標および左右差指標を求めるものである。本法によって測定した二酸化炭素負荷後のトレーサの取り込み増加は 133Xe 法などと比較して低い傾向にあった48)。しかし、脳血管の二酸化炭素反応性あるいは光刺激による相対的なトレーサの取り込みの変化については従来の他の方法で求められた結果とほぼ同等の結果が得られ、本法は充分に臨床応用が可能であるという結論である47)48)。これらの結果はトレーサそのものの性質に起因するものと推測され、それぞれの脳血流トレーサの特性を生かした使い方が必要と考える。さらに、脳血流量の測定法として、ポジトロンエミッショントモグラフィー(Positoron Emission Tomography, PET)がある。陽電子(ポジトロン)が陰電子と結合する場合に消滅ガンマ線が発生する。このガンマ線を測定して脳の血流量を測定する。本方法はベビーサイクロトロンを必要とするため高価な方法である。しかし、H215、C15O2 を使用した脳血流量の測定のほかに、15O を使用した酸素消費量、18F-2-フルオロ-2-デオキシ-D-グルコース (18FDG) を使用した脳内のぶどう糖代謝の測定が可能である。さらには、ドパミンなどの受容体の脳内分布のイメージングも可能である。ニコチンに関しても、ニコチンそのものを陽電子、ガンマ線放出核種で標識してその体内動態を検討することが可能である。11C-ヨウ化メチルを用いて 11C-ニコチンを合成し、HPLC で分取すれば、放射化学的純度が 99% 以上の標識化合物が得られる50)。11C-ニコチンのマウスを用いた実験では、静脈内投与5分後で脳への取り込みは 5.3%/g 組織、脳/血液比 2.6 である51)。投与直後、11C-ニコチンは大脳皮質、海馬、線条体、小脳などに強く取り込まれた。非放射性ニコチンを同時投与すれば 30 分後の視床、視床下部などの取り込みが対照群と比較して約 45% 減少することから、11C-ニコチンイメージは投与直後は血流を、30~60 分後にはニコチンレセプタ-との結合を反映するものと推定される52)。光学異性体のニコチンの挙動を非放射性ニコチン負荷により検討すると、(S)体の方が(R)体に比べてニコチンレセプターとの親和性が高く、 (S)体の分布は主としてレセプター分布を、(R)体の分布は主として血流を示しているものと考えられる53)。脳ニコチンレセプターの生理的作用については明らかになっていない。小西ら54)は、記憶障害を有する老化促進モデルマウス (SAM) における 3H-ニコチンの脳内取り込みが、記憶障害が発現する生後2~3ヶ月後に低下することから、記憶障害とニコチンレセプターとのあいだに何らかの関係があるのではないかと推定した。PET によるニコチンのレセプターイメージング法に加えて、SPECT 用製剤である 5-123I-Iodonicotine が合成され、ガンマ線放出核種によるニコチンのレセプターイメージングの可能性が示された55)56)。SPECT によるニコチンレセプターの定量には、高性能 SPECT と放射性純度の高い標識化合物の合成が必須と考えられるが、将来の臨床応用を期待したい。
超音波法は、脳血管の機能的、形態的変化を見るのに有用である。経頭蓋超音波ドプラ法は、中大脳動脈などの頭蓋内の大血管の血流速を非侵襲的に計測できる有力な手段である。本方法はリアルタイムに血流速の測定が可能であり、非侵襲的で、放射性同位元素や高価な血流測定装置を使わないため安価であるという利点がある。反面脳血管の検出率が術者の技術に左右される欠点がある。木村ら57)58)は、経頭蓋超音波ドプラ法の再現性、脳血管の検出率、二酸化炭素反応性について検討した。本法による中大脳動脈検出率は約
70% であり、収縮期最高ドプラ周波数、平均ドプラ周波数とも1回目と2回目の測定値間の直線回帰式の勾配はほぼ1に近く、呼気の二酸化炭素増加にともなって血流速の増加が認められ、結果は満足のいくものであったことを報告している。超音波断層法を用いることによって、頸動脈硬化の程度の評価が可能である。本法の診断の妥当性は、血管造影所見との対比で
85%、病理組織との対比で 85% であり、有用な動脈硬化評価法であると結論された59)。
喫煙の急性効果
喫煙で生じる煙の成分には、ニコチン以外に2,000種類以上の物質が存在する15)。ニコチンはこのなかで薬理学的に最も強力な物質である。喫煙の急性効果が、脳代謝60)を介して起こるのか、血管壁に対する直接作用16)か、交感神経系の刺激17)か、ニコチン受容体を介する作用18)か、動脈血中の二酸化炭素分圧の変化19)によって引き起こされるのかは明らかにされていない。さらに個人の喫煙方法、たばこの種類の違い61)などの脳血流量に対する影響を指摘する意見もある。
マウスを用いた実験で、ニコチンは用量依存的に脳血流トレーサである 123I-IMP の脳への取り込みを 5~15% 低下させるが、18FDG の取り込みは増加しており、脳局所における糖代謝を活発にしていると考えられている60)。 ヒトにおいて喫煙は脳の覚醒作用20)や注意力の維持作用21)をもたらすとされ、急性効果としての脳血流増加作用が Skinhφjら16)、Wennmalm22)によって報告されている。表-2に急性喫煙の脳循環に及ぼす影響についての報告を示した。 Wennmalm22)は健常例において、血圧、脈拍、動脈血二酸化炭素分圧と N2O 法により脳血流量、脳代謝を測定した。血圧、脈拍、脳血流量は喫煙後、約 15~30% の増加であったが、逆に脳血管抵抗は約 15% の減少であった。彼らは、喫煙後の二酸化炭素分圧は喫煙前と比較して有意差がなかったことから、急性喫煙は血圧の上昇と末梢血管抵抗の減少を起こし、その際脳酸素代謝を増加させることにより、脳血流量も増加させると推定した。月山ら19)は喫煙の急性効果として脳血流は増加するが、過呼吸により血中二酸化炭素濃度が低下したときには逆に低下するとし、動脈血の二酸化炭素濃度測定の重要さを強調している。Cruickshankら23)は、xenon-133 (133Xe) クリアランス法、経頭蓋超音波ドプラ法 (transcranial Doppler, TCD) により、健常例6例において、喫煙は心拍数、血圧、中大脳動脈血流速を増やすが、逆に脳血流量は減少させると報告した。彼らはこれらの結果をニコチンにより引き起こされたカテコルアミンの放出によるものと解釈した。Kodairaら24)は、経頭蓋超音波ドプラ法により、健常例6例の中大脳動脈血流速を測定し、喫煙後中大脳動脈血流速の増加と末梢血管抵抗の減少が認められたことにより、急性喫煙は脳血管抵抗を減少させて脳血流量を増加させると推定した。芦田ら61)は、経頭蓋超音波ドプラ法を用いて、健常例にニコチン濃度の異なったたばこを1分間喫煙させ中大脳動脈血流速を測定したが、喫煙前後の血流速はたばこの種類に関係なく変化を認めなかった。この場合、喫煙による過呼吸が結果を修飾している可能性を示唆した。村田ら45,46)は高性能頭部用 SPECT と 123I-IMP、マイクロスフェアモデルを用いて健常例において局所脳血流量を喫煙前後で測定したが、局所脳血流量に有意の変化を認めていない。木村ら47)48)も同様に高性能 SPECT と 123I-IMP または 99mTc-HMPAO を用いて喫煙前後の脳血流量分布、トレーサの取り込み程度を健常例において比較したが、喫煙前後で局所脳血流量、脳血流分布が不変であったことから、ニコチンに対する脳血管の感受性は個人個人で異なっているのではないかと考えた。
一方、脳血管障害患者における喫煙の急性効果も検討されている。木村ら57)は、喫煙負荷前後で平均血圧、脈拍、経頭蓋超音波ドプラ法による中大脳動脈血流速を測定した。血圧、脈拍、血流速は喫煙後増加し、血流速増加の程度は脳血管障害者で健常者よりも強いことが明らかになった。呼気二酸化炭素分圧に変化がなかったことから彼らは、この血流速の増加をニコチンによる直接効果と考えた。同様の方法で、穿通枝梗塞病巣側、穿通枝梗塞非病巣側、本態性高血圧症の中大脳動脈血流速を測定すると、3群とも喫煙後血流速は増加したが、増加の程度の有意差は群間で認められなかった62)。しかし、このなかで二酸化炭素に対する血管反応性との関連性で比較すると、二酸化炭素に対する血管反応性が悪いほど、喫煙による血流速の増加が大であった。 井坂ら63)は、脳梗塞患者において SPECT により喫煙の急性効果を検討した。その結果、喫煙前後における脳血流分布の変化を責任病巣側と反対側で比較し、喫煙後の脳血流は責任病巣側と非病巣側間の差が有意に少なくなることを見出した。この傾向は X 線 CT 上形態学的変化の認められない対側小脳においても観察された。彼らは、この現象を、患側半球では脳代謝が低下しているがニコチンに対する血管反応性はかえって高くなっているためではないかと解釈した。また、対側小脳半球における血流低下は、大脳責任病変部による神経路の障害のために起こった遠隔効果のためと考えられ、通常は代謝抑制傾向にあるが、ニコチンに対する血管反応性は高まっていることが予想された。芦田ら64)は、133Xe 法によって同様な検討を行っている。彼らは、喫煙後の脳血流量は虚血性脳血管障害の責任病巣側、および非責任病巣側ともに同程度に増加したと報告している。さらに低血流量部位と正常血流量部位とで喫煙に対する血管反応性を比較すると、低血流量部位のほうが、血流量の増加が大であった。阿部ら65)は、脳梗塞8例、一過性脳虚血発作1例、脳出血2例において、責任病巣側および非責任病巣の側脳血流量のいずれもが急性喫煙負荷により増加し、絶対血流増加量は安静時脳血流量の高度低下部位に多いことを示した。このことは脳血管障害で代謝抑制のため脳血流量が低下している部位では、急性喫煙負荷に対して反応性がかえって高まっているということを示唆する。
急性喫煙は、血圧と脈拍を増加させるとともに末梢血管抵抗を減少させ、脳主幹動脈血流速と脳血流量を増加させるということでコンセンサスが得られつつあると考えるが、その機序については不明な点が多い。また虚血巣における急性喫煙後の脳血流増加量が非虚血巣と比べて高い理由についても十分解明されていない。これらの点に関して今後の研究の進展が待たれる。
喫煙の慢性効果
慢性喫煙と脳血流の関係については、従来から長期喫煙者においては非喫煙者と比較して有意に脳血流量が低下していることが報告されてきた25)-32)。また慢性喫煙が脳血流低下の促進因子になることも報告されてきた32)。脳血管障害の危険因子に加えて、健常例では加齢とともに局所脳血流量が低下してくる33)-35)。この原因としては、加齢によるニューロンの減少のほか、脳動脈硬化の進行が関係している34)35)と考えられている。通常の加齢では、脳血管障害危険因子が多くなるほど、加齢に伴う脳血流の低下の程度が強いことが明らかになっている。したがって、慢性喫煙と脳血流量の関係の検討には、喫煙の程度と喫煙以外の脳血管障害危険因子の両者を考慮に入れた偏りのない多数例での統計解析が必要と考える。
表-3に慢性喫煙と脳循環に関するこれまでの報告を示す。Rogersら25)は、年齢と性別を合わせた多数の局所神経症状を示さない例を、喫煙群、過去に喫煙していた群、非喫煙群の3群に分け、脳血流量の低下の程度は喫煙群において最も強いことを報告した。わが国の研究においても Kubotaら26)28)30)、山下ら31)32)は慢性喫煙例の脳血流量低下傾向を報告している。 Kubotaら26)28)30)は健常者、陳旧性脳梗塞、陳旧性脳出血において 133Xe クリアランス法により initial slope index (ISI) を測定した。患者群および健常例同士の比較で、喫煙者は非喫煙者と比較して 14% から 22% 脳血流量が減少していた。彼らは喫煙者においては動脈硬化が非喫煙者よりも速く進行するため脳血流量が低下すると推測している。脳血管障害危険因子がすでに存在し、そこに喫煙が加わると虚血性脳血管障害の発症率はさらに増加する。Rogersら29)は、神経的に正常な高血圧患者 107 例を7年間前向きに追跡調査した。初診時の灰白質血流量の平均値が 60.0 ml/100g/min 以下では脳血管障害を起こした率が 50%、60~69.9 ml/100g/min では 25.6%、70 ml/100g/min 以上では 12.5% であった。高血圧を有する喫煙者の脳血管障害発症率は高血圧を有する非喫煙者の約2倍であった (32.5% 対 17.2%)。しかし慢性喫煙者でも、喫煙を中止することによって1年以内に脳血流量は回復していた27)。山下ら32)は年齢の同等な男性喫煙者 13 例と非喫煙者 13 例を6年間追跡調査し、喫煙群では脳血流量が減少するのに対して (60.1 ml/100g/min から 51.6 ml/100g/min)、非喫煙群では減少しないこと (62.5 ml/100g/min から 59.4 ml/100g/min) を見出した。また6年後の血圧値は喫煙群で非喫煙群より有意に高かった。彼らは、長期喫煙を脳血流量減少促進因子の一つとしてとらえている。 Kubotaら36)は、159 例の喫煙者と、194 例の非喫煙者において脳萎縮指標を測定した。脳萎縮は加齢とともに強くなったが、喫煙者のほうが非喫煙者と比較して加齢変化が強かったという。また喫煙者の中性脂肪値と最大血圧は非喫煙者より有意に高かった。彼らは慢性喫煙はアテローム性動脈硬化を促進し、脳萎縮の程度を強くすると推測した。芦田ら66)は、虚血性脳血管障害患者の非喫煙群(11 例)、虚血性脳血管障害の喫煙群(11 例)、無症候例の非喫煙群(12 例)、無症候例の喫煙群(11 例)の4群間で 133Xe クリアランス法により測定した initial slope index (ISI) 値を比較した。4群の大脳平均脳血流量はそれぞれ 53.8±8.65 ml/100g/min、53.8±12 ml/100g/min、59.8±12.6 ml/100g/min、55.4±7.6 ml/100g/min で有意差はない。彼らは慢性喫煙と脳血流量は無関係であり、喫煙者の脳血流量低下には他の危険因子が関与しているのではないかと考えた。 井坂ら37)38)67)は、無症候例 40 例において、133Xe局所脳血流量と脳血管障害危険因子の関係について検討した。Smoking index(1日の本数×喫煙年数)は全脳血流量と負の相関を示したが、他の危険因子で年齢、男性、心電図左室肥大、心電図ST-T変化、高ヘマトクリット(多血症)なども脳血流量を減少させる因子であった。多変量解析を行うと、脳血流量を有意に低下させる独立変量は、年齢、ヘマトクリット、男性、心電図変化のみであった。彼らは喫煙者における脳血流量低下は老年者で顕著であり、長期の喫煙によるヘマトクリット値の上昇などにより間接的に引き起こされるのではないかと考えている。
慢性喫煙の脳循環動態研究では、脳循環の計測方法の進歩により、従来の 133Xe 法に加え、脳代謝、脳血管反応性の面からの検討がなされるようになった。Fujiiら39)は、7例の健常者と8例の一過性脳虚血症状を呈した高血圧患者において、局所脳血流量、酸素代謝、酸素摂取率を positron emission tomography(PET) により測定した。局所脳血流量は血圧値と負の相関があり、高血圧患者では低下していたが、脳酸素代謝は比較的保たれ、酸素摂取率は上昇していた。彼らは多変量解析によって高血圧以外に脳血流量を低下させる因子として、年齢、男性、ヘマトクリット上昇、喫煙習慣、動脈血中二酸化炭素分圧の上昇が重要であることを見出した。CT、核磁気共鳴画像 magnetic resonance imaging (MRI) などの脳画像診断法の進歩により、無症候性脳梗塞が多く検出されるようになり、喫煙との関係に注目が集まっている。井坂ら40)41)68)は、MRI で検出された脳室近傍の高信号 periventricular hyperintensity (PVH) と安静時脳血流量、ダイアモックス負荷後の脳血流量を測定し、脳血管障害の危険因子との関係を検討した。喫煙は脳血流量、PVH の程度のいずれとも有意の相関関係を示さなかった。脳血管拡張予備能の低下している症例、高血圧の存在する症例で PVH の程度が強かったことから、彼らは無症候性脳梗塞の成因として高血圧に伴う細動脈硬化による脳虚血が最も重要であり、無症候性脳梗塞と喫煙の関係は少ないと結論した。
松本ら59)は、頸動脈硬化の程度(プラークスコア plaque score)と脳血管障害危険因子の関係について検討した。Plaque score を従属変数、危険因子を独立変数として多変量解析すると、加齢、男性、高脂血症、糖尿病の関与が大であった。Smoking index と plaque score のあいだには正相関が認められたが有意性はなかった。しかし、脳血管障害群と健常群間では、前者のほうが smoking index は大であった69)。彼らは、喫煙の量的負荷が動脈硬化を介した臓器障害を引き起こすと推測している。
喫煙の血管内因子に及ぼす影響
血小板は脳血流に影響する血管内因子のひとつである。血小板は、赤血球と比較して変形能がほとんどないのが特徴であり、凝集塊が形成されると固い粒子様になり、血液粘性を上昇させ42)、結果として脳血流を減少させる。さらには、血小板機能の活性化により血栓の形成が促進される。この血小板の活性化は電子顕微鏡では、血小板の偽足形成 (pseudopod formation)と血小板細胞表面の褶曲 (surface folds) により診断される。今泉ら70)は、電子顕微鏡での観察により、血小板の活性化の程度は虚血性脳血管障害を有する症例より高血圧を有する症例のほうが大であるが、各群における喫煙群、非喫煙群間の血小板形態変化の程度に差はなかったことを報告している。血小板の活性化により高血圧は動脈硬化の進展因子になると考えられるが、喫煙の血小板形態への影響は少ないと彼らは考えている。血小板以外にも、喫煙はヘマトクリット、平均赤血球容積を増加させるという報告がなされ43)、慢性喫煙による全血粘度の増加が示唆される。さらに喫煙者は白血球数の多いこと44)も指摘されている。今後は血液粘度、血小板機能、プロスタノイド、血液凝固、線溶に及ぼす喫煙の影響と脳血流の関係についても検討する必要がある。
このように、喫煙の脳循環に及ぼす影響にはさまざまな要因が考えられるが、MRI、SPECT、PET、超音波法など脳循環検査法の機器の進歩もめざましく、このテーマの研究がさらに進展することを期待したい。
*1国立大阪病院、*2大阪労災病院
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34) | Naritomi,H., Meyer,J.S., Sakai,F., et al. Effects of advancing age on regional cerebral blood flow. Studies in normal subjects with risk factors for atherothrombotic stroke. Arch Neurol 36:410-416, 1979. |
35) | Shaw,T.G., Mortel,K.F., Meyer,J.S., et al. Cerebral blood flow changes in beneign aging and cerebrovascular disease. Neurology 34:855-862, 1984. |
36) | Kubota,K., Matsuzawa,T., Yamaguchi,T., et al. 加齢にともなう脳萎縮は喫煙で増進する:CTによる定量的評価. Tohoku J Exp Med 153:303-311, 1987. |
37) | 井坂吉成、飯地理、芦田敬一ほか 慢性喫煙の局所脳血流量におよぼす影響-脳血管障害危険因子との関係-. 日本老年医誌 29:735-741, 1992. |
38) | Isaka,Y., Ashida,K., Imaizumi,M., et al. Effect of chronic smoking on regional cerebral blood flow in asymptomatic individuals. Jpn J Psychophrmacol. 13:191-198, 1993. |
39) | Fujii,K., Sadoshima,S., Okada,Y., et al. Cerebral blood flow and metabolism in normotensive and hypertensive patients with transient neurologic deficits. Stroke 21:283-290, 1990. |
40) | Isaka,Y., Okamoto,M., Ashida,K., et al. Decreased cerebrovascular capacity in subjects with asymptomatic periventricular hyperintensities. Stroke 25:375-381, 1994. |
41) | 井坂吉成、飯地 理、岡本昌也ほか 無症候例における脳室周囲高信号域と脳皮質血流量および脳血管拡張能の関係.臨床神経学 33:870-874, 1993. |
42) | Kee,Jr.D.B., Wood,J.H. Influence of blood rheology on cerebral circulation. pp173-185, In Cerebral Blood Flow edited by Wood JH, New York, McGraw-Hill, 1987. |
43) | 渡辺孝之、内村 功、前沢秀憲ほか 喫煙者における虚血性心疾患リスクファクターの検討. 特に血液レオロジー因子の検討. 日本保険医学会誌 86:281-289, 1988. |
44) | 富田真佐子、草野史朗、山口百子ほか 喫煙者と非喫煙者の身体、血液検査所見の比較. 交通医学 43:13-18, 1989. |
研究年報
45) | 村田 啓、中田紘一郎、外山比南子 脳血流に及ぼす喫煙の影響に関する研究. 昭和62年度喫煙科学研究財団研究年報:292-297. |
46) | 村田 啓、関要次郎、外山比南子 脳血流に及ぼす喫煙の影響に関する研究. 昭和63年度喫煙科学研究財団研究年報:283-288. |
47) | 木村和文、松本昌泰、福永隆三ほか 脳循環動態の非侵襲的計測と定量的評価に関する研究-喫煙の脳循環に及ぼす影響-. 平成元年度喫煙科学研究財団研究年報 :533-542. |
48) | 木村和文、松本昌泰、半田伸夫ほか 脳循環動態の非侵襲的計測と定量的評価に関する研究-喫煙の脳循環に及ぼす影響-. 平成2年度喫煙科学研究財団研究年報 :605-614. |
49) | 木村和文、松本昌泰、半田伸夫ほか 脳循環動態の非侵襲的計測と定量的評価に関する研究:喫煙の脳循環に及ぼす影響. 平成3年度喫煙科学研究財団研究年報:568-576. |
50) | 米倉義晴、佐治英郎、西沢貞彦ほか 喫煙の脳循環代謝に及ぼす影響の研究. 昭和61年度喫煙科学研究財団研究年報:351-358. |
51) | 小西淳二、佐治英郎、米倉義晴ほか 喫煙の脳循環代謝に及ぼす影響の研究. 昭和62年度喫煙科学研究財団研究年報:282-287. |
52) | 小西淳二、間賀田泰寛、米倉義晴ほか 喫煙の脳循環代謝に及ぼす影響の研究. 昭和63年度喫煙科学研究財団研究年報:289-296. |
53) | 小西淳二、間賀田泰寛、米倉義晴ほか 喫煙の脳循環代謝に及ぼす影響の研究. 平成2年度喫煙科学研究財団研究年報:593-599. |
54) | 小西淳二、間賀田泰寛、藤林靖久ほか 喫煙の脳循環代謝に及ぼす影響の研究. 平成3年度喫煙科学研究財団研究年報:552-556. |
55) | 小西淳二、間賀田泰寛、米倉義晴ほか 喫煙の脳循環代謝に及ぼす影響の研究. 平成4年度喫煙科学研究財団研究年報:663-668. |
56) | 小西淳二、間賀田泰寛、米倉義晴ほか 喫煙の脳循環代謝に及ぼす影響の研究. 平成5年度喫煙科学研究財団研究年報: 658-663. |
57) | 木村和文、米田正太郎、恵谷秀紀ほか 脳循環動態の非侵襲的計測と定量的評価に関する研究-喫煙の脳循環に及ぼす影響-. 昭和61年度喫煙科学研究財団研究年報:343-350. |
58) | 木村和文、松本昌泰、井坂吉成ほか 脳循環動態の非侵襲的計測と定量的評価に関する研究-喫煙の脳循環に及ぼす影響-. 昭和63年度喫煙科学研究財団研究年報:297-305. |
59) | 松本昌泰、半田伸夫、小川 智ほか 脳循環動態の非侵襲的計測と定量的評価に関する研究-喫煙の脳循環に及ぼす影響-. 平成4年度喫煙科学研究財団研究年報:675-679. |
60) | 小西淳二、間賀田泰寛、米倉義晴ほか 喫煙の脳循環代謝に及ぼす影響の研究. 平成元年度喫煙科学研究財団研究年報:340-346. |
61) | 芦田敬一、森脇 博、滝沢 哲ほか 喫煙の脳循環動態に及ぼす影響-喫煙の脳血流速に及ぼす急性効果-. 昭和63年度喫煙科学研究財団研究年報:306-307. |
62) | 木村和文、米田正太郎、松本昌泰ほか 脳循環動態の非侵襲的計測と定量的評価に関する研究-喫煙の脳循環に及ぼす影響-. 昭和63年度喫煙科学研究財団研究年報:273-281. |
63) | 井坂吉成、芦田敬一、中山博文ほか 喫煙の脳循環動態に及ぼす影響-99mTc-HMPAO SPECTによるCBF asymmetryの検討-.平成元年度喫煙科学研究財団研究年報:542-549. |
64) | 芦田敬一、石田麻里子、中山博文ほか 喫煙の脳循環動態に及ぼす影響-133Xe静注法による急性効果の検討-. 平成2年度喫煙科学研究財団研究年報:615-617. |
65) | 阿部 裕、芦田敬一、飯地 理ほか 喫煙の脳循環動態に及ぼす影響-脳血管障害における喫煙の脳循環に及ぼす影響-. 平成4年度喫煙科学研究財団研究年報:681-685. |
66) | 芦田敬一、滝沢 哲、三重野正之ほか 喫煙の脳循環動態に及ぼす影響-脳血管障害患者における喫煙の脳血流量に及ぼす影響-. 昭和61年度喫煙科学研究財団研究年報:358-360. |
67) | 井坂吉成、芦田敬一、今泉昌利ほか 喫煙の脳循環動態に及ぼす影響-133Xe静注法による検討-. 平成3年度喫煙科学研究財団研究年報:576-580. |
68) | 井坂吉成、芦田敬一、今泉昌利ほか 脳血管障害の発症、進展に及ぼす喫煙の影響-無症候性脳血管障害の脳血流量、脳血管拡張能と脳血管障害危険因子の相互関係-. 平成5年度喫煙科学研究財団研究年報:276-284. |
69) | 松本昌泰、半田伸夫、小川 智ほか 脳循環動態の非侵襲的計測と定量的評価に関する研究-喫煙の脳循環に及ぼす影響-. 平成5年度喫煙科学研究財団研究年報:270-275. |
70) | 今泉昌利、滝沢 哲、芦田敬一ほか 喫煙の脳循環動態に及ぼす影響-血小板形態よりの報告-. 昭和62年度喫煙科学研究財団研究年報:288-291. |